会社を辞めてプーになってから「AI物販」に取り組み、そこから半年で開業届を出して独立起業した元OL、ネココです。
脱サラしたら
「自由な生活ができるんだろうな〜」
くらいのイメージしかつかないフワフワした状態で脱サラに憧れるようになり、
実際にソレを果たした今
いろいろ思うところはあるのですが、
結論から言うと、
わたしは脱サラしてホントに良かった
と心の底から思っています。
むしろ、
今では「なるべくしてこうなった」と思っているし、
あの時「脱サラ」という決断をできた自分を誇らしく思っています。
もしこの道を選ばずにずっとサラリーマンをやり続けていたら・・・と思うと、ゾッとします。
それでも、それと同じくらい、
「サラリーマンやってきてよかった」
とも思っています。
この界隈にいると、20代から自営でバリバリ稼いでて成果出してて人生ウェイウェイな人っていっぱいいます。
そういう人たちをみて、「若くていいなぁ」と思うことは、もちろんある。
今からそういう状態になれていて、これからまだ人生が何十年と残っていて、自分と比べてもすごく濃い、人生を過ごしていけるんだろうな、と羨ましく感じることはめちゃくちゃあります。
でも、だからと言って、
「もっと早くに脱サラしておけばよかった」
とは、まったく、思いません。
わたしにとって脱サラするタイミングはあの時しかなかったし、
「あの時」で良かった。
じぶんにとってベストなタイミングで脱サラできたと思っています。
そして、そこに至るまでにわたしが送ってきた「サラリーマン生活」も、
そこで培ったものも、
全て私の人生に必要なものだった。
それらがあって点と点が繋がった結果、
今「ネココ」としての活動ができているのだと思っています。
人生って、どこまで行っても過去の自分の積み上げでしかないのです。
いまふつうのサラリーマンをしていて、「脱サラ」したいけど今更かなぁ・・とか、「もう若くないから無理かな」とか思っている人、ぜんぜん大丈夫ですよ。
タイミングはほんとに人それぞれなので。
この記事を書いてる時点で会社を辞めてから1年半。脱サラ(開業届)出してからは1年未満、という脱サラ1年生のネココですが、
その分、脱サラを経ての変化や衝撃、
その感覚はクッキリとじぶんの中に残っています。
なので、わたしが「サラリーマン→脱サラ自営業」になった過程で思ってきたことや、
なった後に感じた変化などについて、
まだ感覚が残っているうちに書いておこうと思い至って、今この記事を書いています。
この「ネココ脱サラ論」は、前編後編の2部構成です。
今回は、前編。
脱サラするってどういうことか。
脱サラして良かったことについて、まとめます。
後編は、それでも「サラリーマンやってきてよかった」と思う理由について、書いていこうと思います。
では、前編スタート!
脱サラってどういうこと?について考える前に、今の私が感じる「脱サラして良かったこと」について、まず書き出してみたいと思います。
脱サラして良かったこと
・何にも誰にも縛られない
・満員電車に乗らなくていい
・好きなだけ寝てられる
・好きな時に好きなことできる
・いつでもどこでも好きな時に好きな所に行ける
・人間関係のストレスがない
・人に指図されない
・無駄な「お付き合い」しなくていい
・「お金」に関する価値観が変わる
・リミッター外れて違う世界が見えるようになる
・周囲に振り回されなくなる
・見栄を張らなくてよくなる
・日々成長を実感できる
・じぶんに自信が付く
・自己肯定感が上がる
ザックリこんな感じでしょうか。
前半はまぁ、ふつうにイメージできるものでしょう。
会社に縛られず、1日24時間がすべて自分のもの。
すべて自分でコントロールできる時間。
その中で、何をやっても、どこに行ってもよい。
社会人の悩みは、とにかく、
「時間がない」
「自由がない」
ことです。
週5日、月曜から金曜までみっしり働き、朝は早起きして化粧して着替えて満員電車にぎゅう詰めにされて出社。12時になったらランチに行って、夜は下手したら9時とか10時まで仕事。帰ってきたらもうヘトヘトで、お風呂はいって寝るだけ。
土日も平日の反動で、疲れちゃっててどこにも行く気力がない。家でダラダラして時間が過ぎていき、気づいたらもう日曜日の夕方やん・・・
こんな1週間がわたしの「あるある」なルーティンでした。
わたしは、会社辞める前はみんなが知ってる会社でマネージャー職やってバリバリ働いてたザ・バリキャリ女子でした。
女でも結構な額稼いでいましたし、お金に困ることなく何でも買えて、ローンも組めて、〇〇社で〇〇やってたっていえば転職無双できるくらいの肩書きがあって、じぶんでも
「来るとこまで来たな」「サラリーマンとしてほしいものは手に入れたな」と思えるレベルまでは到達していました。
別にこういう女がカッコイイと思って目指してたわけじゃないので、こんなのも半分自虐で書いてるんですけどw
生い立ち的にこうでもしないと自己肯定感育てられなかったんですよ。可哀想な女なんです。
まぁ、この話はおいておいて。
確かに、お金には困ってなかった。
世間一般で見たら「すごいね」と言われる肩書きとキャリアがあって、今までずっと、「それ」を目指して生きてきた。
「それ」が手に入れば「シアワセになれる」と思って頑張ってきた。
なのに。
働けば働くほど、虚しさが増して行く。
心に巣食うモヤモヤが大きくなって行く。
わたし、このままでいいのかな?
わたしの人生、もっと違う生き方があるんじゃないのかな?
自由がない。
自由を、感じられない。
休みを取るにも旅行に行くにも許可を取らないといけない。
休みを取るのも罪悪感で、
結局会社ケータイが手放せなくて・・
そんなんが休みと言えるだろうか。
自分でお金を稼いで「自立」しているはずなのに、
「自由になる」ために出世してきたはずなのに、
給料が上がれば上がるほど無駄な会議、無駄なしがらみが増えていき、どんどん忙しくなっていく。
気づけばわけわからんくらい税金取られてて結局手取りは大して増えてない・・
毎日決まった時間に起きて、
出社して、働いて・・・

「お小遣い」を与えられる代わりに、「じぶん」というリソースをフルで会社や社会に搾取され続ける生活。
決まった「枠内」で強制され、
リピート再生みたいに繰り返される生活。
そして、気付くと、1歳、2歳と
歳だけとっている。
これって結局、
ぜんぜん自由じゃないよね?
モヤモヤはどんどん大きくなり、周囲と同じレールに乗り続ける人生への疑問が自分の中でどんどん膨らんでいきました。
なんでこんなふうに、幾つになっても、
いつまでたっても、
誰かに、何かに、
コントロールされ続けないといけないのかな?
「年収〇〇万」「〇〇社の〇〇」という肩書きは、文字通り、こういう生活と引き換えに手に入れられる、「世間一般基準」をヨシとする人たちの間で通用する通行切符のようなものです。
そのきっぷを持っていれば、
「その世界」の中では上の方に行ける。
「いいね」「すごいね」と言ってもらえる。
ローンが組めたり、結婚できたりする。
そして、ますます、
「その世界」の中でしか生きられなくなる。
でも、もっと大きな視点で引いて見てみれば、
じぶんは「会社」「世間一般常識」という名の大きなカゴの中に囚われて、そこから出ることができない鳥であることに気づくのです。
そう、
わたしたちは、「籠の中の鳥」なのです。
じぶんたちはカゴの中でエサを与えられて、その中で争ったり着飾ったりして人生を過ごした気になっているだけで、
でも、「普通に」考えたら、
そのカゴの中にいなきゃいけない理由なんて、どこにもないのです。
じぶんで勝手に中に入って、
その中で生きる道を選んできただけで、
いつでも自分の意志で外に出ることができるのに、
出入りは自由なのに、
みんなそこから出ようとしない。
その外に出て生きていく人生だってあるはずじゃないか。
じぶんは羽を伸ばしてもっと高くまで飛べるんじゃないか。
外出たらええやん。
出てしまえ!!
そうやってカゴの外に出てみる。
そうすると、
たしかに、
そこには制限のない高い空があって、
どこに行っても何をしてもよい世界線が地平線に沿って見渡す限りどこまでも続いている。
そのなかで、生きていく。

これが、わたしが思う「脱サラ」です。
ただ、「会社辞めて一人でやっていく」じゃないんですよ、脱サラというのは。
生きる世界、見える世界が根底から変わる
これに尽きると思います。
生きる世界、見える世界が根底から変わる
だから、会社に縛られないとか、時間に縛られないとかは、当たり前。
それよりも、
生きる世界が変わる、その新しい世界の中で生きるという全くの新しい体験があなたにもたらす「価値観の変化」こそが、脱サラして得られる最上のものだと思うのです。
わたしは、サラリーマンを辞めてみて初めて、
じぶんが今までどれだけ「世間一般」という名の「枠」や「制約」にガチガチに囚われていたのか、
その価値観に汚染されて生きてきたのかに気づくことができました。
今までずっと感じてきたモヤモヤや、「これじゃない」という違和感は、そのカゴの中に自分を押し込めることから来ているものだったんだと、気づけたんです。
気づいたら、
その世界の中に、自分でじぶんを縛り付けていた。
縛られてることにも気づかないまま、VRゴーグルつけて、そのフィルターを通して見える世界が全てだと思っていた。
そして、
「苦しい、自由がない、これが本当にわたしの人生なんだろうか」って、言っていたのです。
苦しいに決まってるじゃないですか、
縛り付けられてるんだからw
でも、そうやって自分を「そこ」に縛り付けることを選んだのも、そのままでずっと生きてきたのも、
じぶんなんです。
間違いなく、じぶんで選んで
今の自分になってきたんです。
いままで、何の疑問も持たず、何も考えずに、
ただただ縛られ、流されるままに生きてきた。
それが「正しい」こと、
「こうあるべき」こと、
「幸せに繋がる」ことだと信じて。
「会社を辞めてプーになる」という覚悟はもちろんカンタンじゃない
とはいえ、こういうことにすぐ気づけたわけではありません。
過去数十年かけて、親から、友人から、知り合いから、刷り込まれ続けられてきた「常識」はそうそう簡単に変えられるものではありません。
「今まで身につけてきたものを全部捨てて、会社を辞めて一から出直す」という決断をするには、社会不適合者バリバリのネココでも数年を要しています。
最初の兆しは、私の場合、
じぶんの「モヤモヤ」という形で現れてきました。
欲しいものは手に入れたはずなのに、
埋まらない虚しさがどんどん大きくなってきて、
「これじゃない感」
「このままでいいのか」
という答えの出ない自問自答が浮かんでは消え、
浮かんでは消えを繰り返していたころ。
学生時代の記憶がじぶんの中でフラッシュバックするようになりました。
「世界はみんなが思ってるよりもっと、ずっと、自由で広いんだよ」
予備校時代、大好きだった先生が言っていたことば。
「証券会社でバリバリ働いてたけど、これが私の生きる道なんだろうかって疑問になって、仕事を辞めてフリーの教師になったのよ」
大学時代、非常勤講師の先生が言っていた、なせだか自分に刺さったまま、ずっと忘れられなかったことば。
十数年ぶりに、彼らのことばを思い出しては、
それがじぶんのなかでこだまするようになりました。
・・・なんで今になって、彼らのことばをこんなに思い出すんだろう。
それと連動するように、わたしを「そこ」から引きはがすような出来事や出会いが現実に起こるようになりました。
そのモヤモヤの果てにぼんやり浮かんでいた、
「サラリーマン辞めたほうがいいのかな?」
「今から人生軌道修正するべきなのか?」
という問い。
それに応えるように、それを裏付けるような現実が引き寄せられてきたのです。
それらに背中を押されるように、
「会社を辞めて生きていく」ことを、
少しづつ、
「来たる現実」のこととして考えるようになりました。
・・・そういえば、わたし、学生時代の夢は
「ご隠居さんになって好きなこと思いっきりやる」だったよなぁ。
たしかに、「いつか」は、
一人で好きなこと、自由にできたらいいなとは、
ほんのり思ってきた。
もともと時間も守れないし、
人に合わせるのも苦手だし・・
これ以上出世するのも、
人の上に立つことも興味ないし・・・
どこかで、社会で「お勤め」することは、来たるご隠居生活に入るまでの「修行」みたいなもんだと、思ってきましたよ、ええ、たしかに。
うーん。
今が、そのタイミングなのかな?
でも、会社辞めて、どうしたらいいんだろ?
お金、ひとりで稼げるのかな???
わたし、何ができるのかな?
何を、やったらいいの?
何を、どうしたらいいの??
わからん、わからん、わからん!!!
今までン十年生きて来たのに、こういうことがサッパリわからない。
そこからは、ひたすら情報収集です。
Xで副業情報をチェックするようになり。
並行して陰謀論とか、「目覚め」とか、そういうコンテンツを読み漁るかたわら、ホロスコープとかの占い鑑定も受けまくって、自分の生まれ持った本質について、とことん掘り下げて追及するようになりました。
「現状把握」と、「希望の未来」に至る情報の収集。
その2つをすり合わせて、
「この先」のイメージを肉付けしていく作業。
それをこなすうち、少しずつ、
「今いる環境」の違和感に気づくことができるようになってきました。
「サラリーマン」がどれだけ、国家にとって都合がいいようにコントロールされている存在なのか。
私たちに脳死でサラリーマンを続けさせるために、「カゴ」の仕組みに気づかせないように作られた様々な仕掛け、
「常識」と呼ばれるものの中に張り巡らされた思惑の糸がうっすら見えるようになってきた。
・・・・おかしい。この環境は、この社会は。
わたしはここにいるべきではない。
いますぐ、脱出すべきだ。
頭ではわかっている。わかるようになってきた。
でも、やっぱり、不安が消えない。
会社辞めてお金入ってこなくなって、生活できるのかな?
貯金と失業保険でいつまで持つのかな?
・・・ほんとうに、辞めたあとひとりでやっていけるのかな?
「辞めよう」とは決めたものの、なかなか最後の決断ができずズルズルとサラリーマン生活を続けていたあの頃。
モタモタしていたわたしの背中をドンと押してくれたのが、愛猫みーこの死というショッキングな出来事でした。
この出来事を通じて、
わたしは完全に目が覚めたのです。
覚まさせられたといった方が正しいですが。
ゴーグルがポンと外れて、縛り付けられてる自分のからだを初めて自分の目で見ることができた。
そして、カゴの「出口」がハッキリと視認できた。

もうこれ以上、
守るものなんてこの世界の中にはない。
この世界は、わたしの大事なものを、何よりも大切で失いたくないものを、守ってくれなかった。
わたしが、この世界に固執し続けていたから、あの子を、守ってあげることができなかった。
捨て去るべきは、自分を縛り付けているこの枷であり、
この世界こそが世界の全てだと思ってきたこの価値観そのものだと。
だいじなものを失って、そんな状況になって初めて、わたしはようやく気付くことができたんです。
こうまでしないと目を覚ますことができなかった。
わたしは、大馬鹿野郎です。
だから、もうなんの未練も躊躇いもありませんでした。
じぶんをそこに縛り付けていた紐をほどいて、出口から出た。
わたしが脱サラするためにやったことは、これだけです。
「世間一般」「常識」という名の恐怖支配
そんなこんなでわたしは会社を辞め、アテもなくプー太郎になりました。
今まで十数年かけて積み上げてきたキャリアは捨ててしまった。
何で稼ぐかはぜんぜん決まってない。これからやる。
ぶっちゃけ、大して貯金もない。どうしようね。
まぁでも、いっか!
これから、やる!
とにかく、わたしは「自由」になりました。
保険の切り替え、失業保険の申請、面倒な事務作業の数々。次々に届く税金支払いの請求書。
今までは会社がやってくれていたことを、じぶんで全てやらないといけない煩わしさ。
でも、そうなって改めて気づく、
自分が納めてた税金の額の大きさ。
こんなに払ってたんか・・・
いや、まぁ、「義務」ですけども・・・
でも、ここに疑問を持つことなく、今までずっと生きて来たんよな。
「こういうもんだ」って思って、何もしてこなかった。
こういう納税一つとって見ても、「サラリーマンでいる方がラク」だと思わせるように、社会の仕組みが作られています。
個人になるとやらないといけない、確定申告やら納税やら「煩わしい」ことは、会社がぜんぶやってくれる。
毎月給料日になれば、税金が勝手に差し引かれてお金が振り込まれてくる。
生活できる。
じゅうぶん忙しいし、余計なことは考えたくない。
だから、深く考えない。
深く考えないから、「どういう仕組み」になっているのかわからない。
わかろうとしない。
思考停止です。
おっと、これ以上書くと色々危なそうなのでここでストップ!笑
とにかく、この日本という国は、
サラリーマンであることが正しい、
その枠内で生きたほうが有利、
だってそれが「常識」なんだもん、
みんなそうなんだもん、
「世間一般」「人並み」でいることが正しいんだもん、
その方が楽だしいいことだよ!って思うように、
作られてるんですよ。
そして、その枠から外れようとすると、
わたしもそうだったように、
「会社を辞めて生活できるのか?」
「世間一般から外れていいんだろうか?」
という猛烈な「不安」にさいなまれるようになってるんです。
そう思うように、仕組まれているんです。
わたしも刺されたくないのでここではこれ以上書きませんが、「不安」「恐怖」を植え付け行動を抑制することは、人を支配することと同義なのではないでしょうか。
いやぁ、まさか、ナチスドイツじゃあるまいし。
この現代に、この平和な時代に、この自由な時代に、そんなことあるわけない、と思いますか?
じゃあなぜ、
皆さんは週5で行きたくもない会社に行かないといけないんですか?
なぜ、「自由がない」「時間がない」と思ってるんでしょうか?
ナゼ、それに疑問も持たずに今まで生きてきたんでしょうか?
「会社辞めたら生きていけないから」?
ほんとに、ほんとうに、
「会社辞めたら生きていけなくなる」と、
本気で、思っていますか?
ぶっちゃけいうと、この日本社会において、会社辞めたら生きていけなくなる人なんて、おそらくほぼいません。
まず、失業保険やらの保障制度がかなりしっかりしてます。
役所に行けば、ぜんぶ懇切丁寧に教えてくれます。
いざとなれば、アルバイトでも何でもやればいいんですよ。
むしろ、じぶんが動かないとお金が入ってこないという超差し迫った現実が目の前にあれば、人間は嫌でも動きます。
火事場の馬鹿力というやつですね。
どうにかなります。
マジで、どうにかなります。
わたしも、自分でもビックリするくらい、
どうにかなってしまいました。
そうして、数年かけて悩みに悩んで、しんどい思いしてカゴの中から這い出た結果待っていたものは、
先述の通り、自由そのもの、
見渡す限りの青い空。
なんにも誰にも縛られない、
「税金さえ払ってれば何やっても自由」な場所で、
生きることを許されるという、
ストレスフリーな世界線。
わたしは、違う世界にお引越ししたんです。
そこから今、
かつて自分がいた場所を眺めて思うこと。
・・・いやぁ、マジでわたし、あの中にいたの?笑
信じられない。
もう、ぜったいに、戻れない。
絶対に戻りたくない。
一度「こちら」に来てしまったら、
皆さんにも、分かるはずです。
今まで真面目にサラリーマンしてきた人ほど、
「世間一般常識」「こう生きるべき」という幻想に、
ガチガチに縛られて生きています。
だから、肩書とか年収とか、
そういうもので人を判断して、
自分の身を鎧で覆い隠して、保身に走ります。
ほんとは、「〇〇社の〇〇」とか、
どうでもいいものです。
あなたがどれだけそれを誇りに思ったとて、
どれだけそれにすがったとて、
会社があなたを生涯守ってくれるわけではないし、会社自体はあなたのものになりません。
終身雇用の時代はとっくに終わっています。
どれだけ会社の中で結果を出したって、それは会社の力や環境あってのものであって、あなただけの実績ではないのです。
もちろん、会社の中で結果を出すことはすごいことです。誇るべきことです。
その結果、得られるものもあるでしょう。
でも、どこかで「自分だけ」の力で成し遂げたことではないとわかっているから、本当の意味でそれが自分の自信になっていかない。
じぶんは、会社を辞めてほんとうに「一人でやっていかないといけない」環境になったら、どこまでできる人間なのかな?
わたしは、会社員時代、
よくこういうことを考えていました。
「わたし」は、この社会の中で、通用するのかな?
今は、ひとりで稼ぐことを覚え、誰にも雇われずに、文字通り「自営業者」としてじぶん一人の力で生活できるようになりました。
この1年ちょっとの短い期間で、
今までの社会人生活十数年で得たものとは比べ物にならないくらい沢山の学びを得て、
自分に自信がつき、
自己肯定感が爆上がりしました。
「じぶん」が、何の鎧もつけない剝き出しの状態で、通用するということ。
「じぶん」がやったことが結果に繋がり、お金になるということ。
その結果、ありのままの「じぶん」を、
「すごいね」って、
自分で認めてあげられるようになりました。
虚勢を張らずとも、
見栄を張らずとも、
「わたしってすごいんだ」って、
素直に思えるようになりました。
その自信や自己肯定感を支えてくれているものは、
「ここまで一人でやってきた」という、
事実そのもの。
自分がやらなければ何も動かないのが自営の世界。
なにか結果が出るということは、
「じぶんがそれだけやった」
ことの何よりの証明なのです。
だから、素直に自分を誇ることができます。
これが、私が今までの人生でずっと欲してきたもの。
サラリーマン時代は得られなかったもの。
混じりけのない、本物の「手ごたえ」です。
リミッターを外せ
もう一度、繰り返します。
わたしがサラリーマンを辞めて得た最上の気付きは、
じぶんが今までどれだけ「世間一般」という名の「枠」や「制約」にガチガチに囚われていたのか、その価値観に汚染されて生きてきたのかということでした。
わたしがサラリーマンを辞めて一番良かったと思うことは、
自分にかかっていたリミッターを外せたこと。
そして、
生きる世界、見える世界を根底から変えられた
ことです。
そのためには、それを封じ込めてる、自分を制御してる色んなリミッターを「自分で」ひとつづつ外していかないといけません。
社会常識、会社、キャリア、肩書、学歴、安定。
「ふつう」でいること、
そういうもの全部ひっくるめた「世間一般」という価値観を疑い、
「世間一般神話」
から離れる覚悟を持つこと。
ここに依存しきってきた人ほど、自分を縛り付けているリミッターの数は多く重たく、外すのは容易ではありません。
この工程が、一番しんどくて大変です。
でも、これをやらないといけないんです。
大切なことは、じぶんを信じること。
あなたの人生は、「世間一般」に流されて終わるありきたりなものではなくて、
もっと自由に、
あなたがあなた自身で設計できるもののはずです。
その可能性を、信じるんです。
「変わりたい」と思うなら、
「自由」になりたいなら、
勇気と思い切りが必要です。
わたしも、そうやって、
その世界から脱出しました。
そしてわたしがこちらの世界に入って得たものは、「世間一般」に染まり切っていたころには想像もできなかった自身の「価値観の変化」でした。
「お金」の価値観、
「時間」の価値観、
じぶんを自分がどう評価するのかという価値観。
他人から見て自分がどう見えるかを一切気にせずに、自分の人生は、じぶんがどう生きるかは自分で決めればいいのだという全能感。
じぶんの人生の手綱を、自分で掴んでいる
と思えること。
そこから得られる爽快感と開放感。
自分の幸せは他人に定義されるようなものではなく、
じぶんで決めて自分で手に入れてこそ本物のしあわせ
なのだということ。
これらは全て、「世間一般」から離れる覚悟を決め、清水の舞台から飛び降りたから手に入ったものです。
飛び降りたら怖い?生きていけない?
「普通」は、そう思いますよね。
だから、みんなやらない。
「普通」でいたくないなら、
好きなことやって自由に生きていきたいなら、
「普通」の人がやらないことをやらないといけないんです。
それだけが、「支配」から脱出する唯一の方法です。
サラリーマンのいいところは、「安定」があるところ。
でも、その安定は、じぶん自身を、
じぶんだけの人生を、その可能性のすべてを、
会社に捧げて手に入るかりそめのものです。
フリーランスの厳しいところは、「保証」がないこと。
でも、その代わり、「制限」もない。
稼ごうと思えば、自分さえ頑張れば、
天井なしで稼ぐことができます。
しかも、「辞めたら終わり」の会社ではなく、
じぶん自身で身に着けたスキルは、
一生、あなたを支え続けてくれます。
絶対的な自信として。
その為には、そこそこの給料に満足し、会社に依存している自分から脱却しないといけません。
マインドを変えることです。
「家族がいるので」
「会社辞めたら生活できないので」
「一人で稼ぐなんて、私にはできないので」
脱サラの話をすると、
99%の人はみんなこう言います。
でも、ぜんぶ、幻想です。言い訳です。
そう思い込もうとしているだけ。
誰に遠慮してるんですか?
何を気にしてるんですか?
そんなに、
「人からどう見えるか」が気になりますか?
あなたの人生は、
あなただけのものじゃないんですか?

自分の可能性を封じ込めるのも、開放するのも、
自分自身。
このまま囚われて歳を取っていくのか、
思う存分、自由に生きていくのか。
あなたは、どちらの生活を望みますか?
どっちだって、自分で選べるんです。
人生は、一度きり。
一度しかないんですよ。
飛び込んだ先には、いいものが待っていますよ。
保証します。
そして、お金は、どうにかなります。
まじで。
信じて飛び込んできてください。
「こちら側」で、お待ちしてますね🙌
